ウルトラマンのビジュアル公開

シン・ウルトラマンビジュアル

庵野秀明コメント

『シン・ウルトラマン』の「ウルトラマン」について 2019/12/11

成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』を観た瞬間に感じた「この美しさを何とか映像に出来ないか」という想いが、今作のデザインコンセプトの原点でした。

我々が『ウルトラマン』というエポックな作品を今一度現代で描く際に、ウルトラマン自身の姿をどう描くのか。
その問題の答えは、自ずと決まっていました。
それは、成田亨氏の目指した本来の姿を描く。現在のCGでしか描けない、成田氏が望んでいたテイストの再現を目指す事です。
世界観を現代に再構築する事は挑戦出来てもあの姿を改める必要を感じ得ず、成田亨・佐々木明両氏の創作したオリジナルへの回帰しか、我々の求めるデザインコンセプトを見出せませんでした。

その為に―――

『真実と正義と美の化身』と成田氏が当時から後年にかけて描いていた様々なウルトラマンのイメージを踏襲し融合し再構成させた新たな体表のライン。
成田氏が監修した、佐々木明氏制作によるマスク。
成田氏が望んだ、古谷敏氏の体型データをベースとした体躯。
成田氏が望まなかった、眼の部分に覗き穴を入れない。
成田氏が望まなかった、スーツ着脱用ファスナーに伴う背鰭を付けない。
そして、成田氏が望まなかった、カラータイマーを付けない。

と、いう作業を行った結果が今回のデザインです。
ウルトラマンの美しさに、少しでも近づきたいという願いから生まれた姿です。

この想いが、わずかでも観客の皆様に伝わる事が出来れば、幸いです。

企画・脚本 庵野秀明

成田 亨『真実と正義と美の化身』

『真実と正義と美の化身』

成田 亨氏プロフィール

1929年9月3日、神戸市生まれ。生後間もなく青森県へ移り、以後、青森県と兵庫県内の転居を繰り返す。
1954年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻研究科在学中、「ゴジラ」の美術スタッフにアルバイトとして参加。これを機に東宝だけでなく大映や松竹、東映などの特撮美術に携わり、1960年、東映の特撮美術監督に就任。
1965年、円谷特技プロ(当時)と契約し、同社の「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マイティジャック」などで、ウルトラマンをはじめとするキャラクターや怪獣、メカ、防衛隊のコスチュームや基地のセットにいたるまでをデザインし、映像作品の世界観構築に多大なる功績を残した。
1968年にフリーとなってからは、「突撃! ヒューマン!!」などの特撮や「樺太1945年夏 氷雪の門」「新幹線大爆破」「この子を残して」「麻雀放浪記」など映画美術のほか、百貨店のディスプレイや博覧会、催事場のデザインなど活躍の場を広げていった。
2002年2月26日、多発性脳梗塞のため永眠。享年72歳。
2003年「アート・ツアー・イン青森 成田亨が残したもの」展、2005年「成田亨の世界」展、2007年「怪獣と美術」展、2014年〜2015年「成田亨 美術/特撮/怪獣」展が開催された。

成田 浬氏コメント

「シン・ウルトラマン」のデザイン発表に寄せて 2019/12/12

昨年の初春、母と私のもとへ庵野秀明さんが来訪され「『真実と正義と美の化身』を映画にしたい」と仰っていただいた時のことは忘れません。耳を疑うほどに嬉しかったのです。

父、成田亨は、自身が試行錯誤しながら生み出した「ウルトラマン」を、 生涯を通して深く愛し、誇りに思っておりました。

同時に、その「ウルトラマン」を生み出した自身の名前がクレジットから消され、デザインが変質され、商業的に利用され続ける人間社会に深い悲しみと絶望を抱いておりました。その心を正直に発した事で、誤解や誹謗中傷も受けました。

父は悲しみが癒されることなく2002年に他界しましたが、その背中を通して多くを感じながら育てられた私は、父を誇りに思い、時に哀れに思い、そして心から尊敬しています。

生前の父の言葉を思い出します。「本物は残る、本物であれ」

『真実と正義と美の化身』は、芸術家として生きた当時の父の全てが注ぎ込まれた油彩画です。その絵画が、当時まだ子どもとしてウルトラマンを見ておられた庵野さんの感性に50 年以上の時を経て触れ、才能を発揮し続ける庵野さんの稀有な感性と交わり、「シン・ウルトラマン」としてどの様な姿でスクリーンに蘇るのか、期待に胸が膨れ、熱くなっております。

昭和の子どもが心踊らせた「ウルトラマン」が、令和の子どもたちに「シン・ウルトラマン」として蘇る。子ども達の心に残る忘れられない映画の誕生を心待ちにしております。

成田 浬

円谷プロダクション コメント​

『シン・ウルトラマン』の「ウルトラマン」について 2019/12/12

初めて庵野秀明氏と『シン・ウルトラマン』の企画の話をした時から、庵野氏にはある想いがありました。それは、成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』を今作のデザインコンセプトにしたいということ。
成田氏の描かれたデザインは現在まで続く「ウルトラマン」の原点であり、私たちは庵野氏の「ウルトラマンの美しさに少しでも近づきたい」という想いに全面的に賛成しました。
私が初めて成田浬氏とお会いしたのは2018年春でした。それ以来、亨氏の偉業について、そしてご苦労についてお伺いすることができました。
その上で、この機会に改めて成田氏の円谷プロダクションでの仕事と功績に対して惜しみない賛辞をお贈りしたいと思います。
今作をご覧になる多くの方が最高にして美しい「ウルトラマン」を目撃します。どうぞご期待ください。

株式会社円谷プロダクション
代表取締役会長 兼 CEO 塚越隆行

キャスト・スタッフコメント

監督:樋口真嗣

あらたな、でもそれは私が物心ついた頃から輝き続けているバトンを託されました。
先輩たちが生み出し育ててきた、眩しく重たいそのバトンを次につなぐ責務を粛々と努めて参る所存です。

斎藤 工

私に大役の白羽の矢が立った事以上に、この壮大なプロジェクト及び手にした脚本に至極興奮致しました。
かつて、何者でも無かった私は一度だけ、生前の実相寺昭雄監督にお会いする機会を頂き、前のめりに当時の円谷プロや「ウルトラマン」の様々な話を伺えた事は、全て"ココ"に繋がっていたのではないかと今振り返ると思います。
「ウルトラマン」への特別な想いを持たれていらっしゃる庵野さん、樋口監督と共に、若輩者ながら私の37年間を本作に注ぎたいと思います。
『シン・ウルトラマン』が今の日本に、未来の日本に、必要な作品になるよう、頼もしきスタッフ、共演者の方々と高みを目指します。

長澤まさみ

誰もが憧れる庵野さんの作品に出演出来る事をとても光栄に思います。
『シン・ゴジラ』も劇場へ観に行ったのですが、お客さんの満足感や充実感をその場で強く感じました。
今回の作品では思いがけない展開もありますが、今を生きぬく事はいつもどんな時も精一杯です。
作品を通して少しでも多くの人の心に届くものになればいいなと思います。

有岡大貴

物心のついた時から当たり前のようにウルトラマンをVHSで見て、当たり前のようにウルトラマンの人形で遊んでいました。
世代を超えて、そんな子供が日本中に居たことと思います。
そんなウルトラマンが、庵野さんと樋口監督の手により令和の時代に、さらにパワーアップして僕たちの前に現れてくれること。
最高のエンターテイメント作品の誕生に胸が熱くなります。
ご出演者の皆様に比べ、僕はお芝居の経験が少ないです。足を引っ張ってしまわないか、オファーを頂いた時は正直嬉しさよりも不安の方が上回ってしまいました。でも『シン・ウルトラマン』という作品に恥じぬよう誠意を込めて務めさせて頂きます。

早見あかり

まさかあのウルトラマンの世界に自分が飛び込むことが出来るなんてまだ夢のようです。
私自身が『シン・ゴジラ』を観た時に感じたあの興奮をまた皆様にも『シン・ウルトラマン』でお届け出来ると思うと楽しみです。
正直、緊張や不安もありますが、庵野さん、樋口監督、出演者の方々と共に『シン・ウルトラマン』の世界を精一杯生き抜きます。

田中哲司

地元の鈴鹿山脈の山間から、いつか怪獣が顔を出すのではないかと、子供の頃、よく空想してました。
「ウルトラマン」は僕たち世代にとって、特別な作品です。
そんな僕が、恐らく最強のチーム『シン・ウルトラマン』に参加出来る事は最高の喜びです。最善を尽くします。

西島秀俊

世界的人気で誰もが知る「ウルトラマン」を、あの『シン・ゴジラ』チームが再集結して映画化するとお話を伺った時の驚きと興奮がいまだに冷めません。
そして、そのチームに参加できることを非常に光栄に感じています。
脚本を読ませていただきましたが、ファンの方もそうでない方もきっと楽しめる一級のエンターテイメント作品になると確信しています。
初めてご一緒する樋口監督のもと、“誰も見たことのないウルトラマン”の世界に命を吹き込む一員として、精一杯演じさせていただきます。